All Tomorrow’s Girls

It's hard to stay mad, when there's so much beauty in the world. ━American Beauty

タモリの寺山修司の物マネ & 沢田亜矢子と寺山修司の対談

 昨日、たまたまtwitterで、タモリ寺山修司の物マネや週刊朝日の対談話がでてきて、懐かしいのと興味深いのとで、ぜひ紹介したいのでこちらにも掲載。
 そもそものきっかけは、iruremeさんの一言からで、それに応えてbacteriasleepさんYouTube から引っ張ってきてくれたのがこちら。↓
http://uk.youtube.com/watch?v=3Kc8ihYxBkY&fmt=18:MOVIE:small
 何回聴いても笑える!寺山修司の物マネをする方は、私の周囲ではもう一人、大昔に、プールで知り合って親しくなったスナックのママに連れて行かれた焼き鳥屋の親父、という方もいたのですが、まあ、それはどうでもいいか。
 ハナモゲラ語は、私が小学生高学年か中学生の頃に隆盛を極めていたと思うのだけど、当時はドリフやツービートと違って、タモリは大人というか難解なイメージがあったし、見た目がどぎつくて敬遠していたなー…。


 で、と、サブタイトルに、『沢田「タモリさんに物マネされるのは、いやじゃないですか」 寺山「全然。あれは“思想模写”で、一つの鋭い批評ですよ」』とある、81年10月16日号の週刊朝日の、沢田亜矢子寺山修司の対談記事のページをiruremeさんからいただいたので、これもポストしたい。ラージサイズでどうぞ。

'81.10.16 週刊朝日 異色連載対談126  - a set on Flickr 

 沢田亜矢子のかまととぶりには脱力するが、なかなか面白い。以下、寺山が監督したハードコア映画「上海異人娼館」に出演したクラウス・キンスキーについてのくだり。

寺山  撮影しててわかったけれども、最小限のスタッフにして、さあ、二人で始めてくださいというと、女優さんはできるんですけど、男性は、まず相手に対して、愛情が少しでもないとできないんです。トルコ風呂なんかでは、相手に感情を持っていなくてもできるということから男性はケダモノみたいなもので女性はデリケートだというふうに思われていたけれども、ああいう撮影の現場になるとそれが逆だというのがわかって、すごく面白かった。それで、それ待ちになるわけです。外で待っていて、役者が「できそうです」っていうと、みんなパーッと走っていって、やっぱりだめだったとか。
 主演している男優が、クラウス・キンスキーというドイツ系のフランス人なんです。この人はヨーロッパでは性格俳優として名高い人で、もう五十過ぎなんですが、この人は、なんとかやりましたね。立派ですね。
沢田  そういうのも演技力でしょうかね。
寺山  精神力かな。自分は世界のクラウス・キンスキーだから、できないのは恥だという意識があるわけね。ああなると、もう念力だね。(笑い)
 日本人の俳優はほとんどだめだったです。

 うーむ。「愛のコリーダ」で立派にやりとげた藤竜也は念力使ったのかなあ…。わはは。
 それから、タモリに物マネされていることについて語っているのも興味深い。

寺山  タモリという人のすごく面白いところは、方言をマネしているんじゃなくて、しゃべり方の内容、論理の組み立てが同じなのね。なるほど、オレはあんなふうにしゃべるんだなというのがよくわかる。
沢田  全然関係ないものを二つ並べてね。
寺山  だから大げさにいうと、思想模写というか。声帯模写じゃなくて、考え方を模写しているわけですね。それは、ぼくにとって、ある意味で、演劇批評を書いたり映画批評を書いてくれる人よりも非常に鋭い批評になっているんですよ。(省略)
 いろんな人がぼくのマネやるけど、三上寛がいちばんうまいな。彼はぼくの劇団に出入りしていたということもあるし、田舎が青森だということもあるし。ただ、タモリのほうが、かっこういいのね。オレなんかよりずっと二枚目だし、颯爽としているし。寛は、そんなかっこういいわけじゃないからね。
 まあ、タモリがぼくを一般的に有名にしたようなもんじゃないですか。ぼくは、六〇年代には、ある意味で社会的な影響力があったけれども、八〇年代になってからは、そんなに目立つ仕事をしているわけじゃないしね。だから、タモリがマネをすることによって、逆に、寺山修司というのは何だろうかという形で、タモリによって有名にされたという変な面があるのかもしれない。