All Tomorrow’s Girls

It's hard to stay mad, when there's so much beauty in the world. ━American Beauty

あまりに怖い体験だったので

日記に書いて、自分の恐怖心を薄めることにする。


今日の昼間、私は銀座に行く用事があったので、最寄の三軒茶屋駅から田園都市線に乗った。乗り込む際、私がその車両ドアの最後尾となったため、手前のドアに向かって立つ格好となった。発車と同時に、私に背を向けて立っていた女が落ち着きなく動き出し、女が被っている毛のついたフードが私の頭にパサッと被さってきたり、着ているナイロンコートのすべすべした感触が、私の背中やお尻にまとわりつくほど自分の身体をくっつけてきたので、内心、「カーブでもないのに変なの。」と思いつつ、田園都市線の上りはドア付近は混むのが常なので、そのまま黙って前を向いて立っていた。


乗車した急行電車は池尻大橋駅を通過し、いよいよ渋谷駅に近づいてきた。すると、私のすぐ傍、座席の端に座っていた男がおもむろに立ち上がり、私の足元に置かれた大きなキャリーバッグの取っ手を掴んだり放したりもぞもぞと動き出したので、なにげにその男越しに自分の右側に目をやると、3人掛けの座席が一つ空いていて、その前に2人しか立っていない。「あれ?スカスカの空間。それなのに、何故に私の背中はこんなに押されているのか?私の後ろ一列だけギューギュー詰めなのか?」などと考えていたら、突然、後ろから強く背中を押されて、私は窓に両手をつき、額もつかんばかりの体制になってしまった。苦しい。


やっと渋谷駅に到着して反対側のドアが開き、車内の乗客がどっと降りて行った。ところが、いつまでたっても私の背中は重いまま。その時、私は初めて気が付いたのだ。私の後ろにいる女は、乗車した時からわざと、ずっと私に寄りかかっていたことを。


頭にきたので思い切って背中を反らせ、肘で後ろをどんと突くと、後ろにいた白いナイロンコート姿の女は、パッと私から体を離した。顔を見ると年齢は50歳前後。栞を挟んだ単行本を両手で広げて持ち、私の顔を見つめながら「ふふふふ。篠崎さんでしょう?」と言った。私の苗字は篠崎ではない。


その女の声はとても低く、震えていて、まるで岸田今日子みたいな話し方だった。芝居がかった彼女の問いかけに私が絶句していると、「黙っていらしても分かりますよ。あなたのそのお顔。篠崎さんでしょう?」と畳み掛けてきた。緊張で額から汗が噴出すのを感じながらも、私は頭の片隅で「この人は、実は台本を読みながら、芝居の練習でもしているのだろうか?」と考えた。


車内を移動したくとも、女が立ちはだかる所為でそれもままならず、その間に乗客はどんどん乗り込んで来る。私は恐怖で声を発することもできなかった。私が一、二歩横に移動しても、女がぴったりと正面にくっついたまま、訳の分からないことを話しかけてくるのだ。


そうこうしているうちに電車が発車した。仕方が無いので私は無視を決めて、元居たドアの前に戻った。先程とは反対に、今度はドアを背にして立っていたら、女が私の左側から、「篠崎さんのお姉さまのほうかしら?ふふふ。頭がおかしくなってしまって、皆同じお顔になってしまったのかしら。」と話しかけてきた。私は怖くて怖くて、背中からも汗が噴き出してくるのが分かり、思わず助けを求める表情で、自分の右側に立っていた着物姿のマダムの目を見つめたのだが、マダムは私を一瞥するとつんと澄まして前方を向いてしまった。私はますます冷や汗を流しながら、話かけてくる女に背中を向け、進行方向とは逆向きに立って、次の表参道駅に早く着くことだけをひたすら願った。彼女は昔話を語っているように、上品な口調でたおやかに懐かしそうに話し続けていた。時々女から沸き起こる笑い声が、芝居がかっていて心底怖い!


そして、やっと表参道駅に電車が到着した。私は急いで降りて、ホーム向かい側の銀座線に乗り換えた。私が電車を降りる瞬間も、その女は、永遠と続く物語を語るかのように私に話しかけていた。一緒に降りて追いかけてこなかったのが唯一の救いだった。