All Tomorrow’s Girls

It's hard to stay mad, when there's so much beauty in the world. ━American Beauty

どうして私は写真や絵をポストするときに

自分の感想やコメントを付け加えたりして紹介しないのか?
というご質問をいただいたので、ちょっと書きますね。
 その前に、私がこのAll Tomorrow’s Girls(当初のタイトルはNot My Cup of Tea)を始めてから、3年半近く経ったのですが、こういった質問を受けたのは初めてのことだったので、少し驚きました。
 で、理由ですが、先ずひとつは、自分の稚拙な文章で『ここの部分がこうなってこうだからこの作品はとても良い』といったことを書くのは大変ためらわれること。識者が見たら「片腹痛いわ」としか思われないだろうなという部分もある。二つ目は、紹介したい写真家や画家の作品について下手なコメントを読むよりも、読者がリンク先に飛んで、じっくりたっぷり彼らの作品を観て感じてもらいたいということ。三つ目は、これが一番の理由なのだけど、ほぼ毎日のように大量の画像をネットで、または画集や雑誌等で目にしていて、その中からコレというのに出会って、そして、コレは自分のブログにポストしなくちゃという気持ちが湧いたからということが全てだということ。選んだ時点で、That's it!なわけで、当然 No commentで Speechless な状態だ。分かる人には分かるし、分からなければ分からないで、はいっオーケー次!行ってみようだ。(ああー。もう、こうして理由を書いていること自体が恥ずかしい。)


 ちょっと実験ぽく、今回、同じページから2回に分けてポストしてみた。
 昨日ポストしたのが、こちら。本日ポストしたのが、こちら。どちらもイタリアン・ヴォーグ誌のエディトリアルページを、スキャンして掲載しているサイトから拾ってきた画像だ。上流階級のマダムと子供の生活のひとこまを切り取ったような写真。モデルが身につけている美しくて豪華なドレスには息を呑むが、物語として見ると、例えば、昨日ポストした、赤ん坊が泣いている脇で母親がヘッドフォンをつけて悦楽にひたっているような写真には、胸が痛む人もいるだろう。もう一枚は、母親がベビーベッドに寄りかかって火の点いた煙草と酒のグラスを持っている。ところが、本日ポストした二枚は、ママと僕の甘い写真だ。昨日のポストと本日のポストでは、印象が全く異なる。つまり、私が何かブログにポストしようとして、それを選ぶ時の自分の気分や精神状態で、先に挙げたどちらのポストにもなるよと。ただ、それだけのこと。