All Tomorrow’s Girls

It's hard to stay mad, when there's so much beauty in the world. ━American Beauty

Bjorn Andresen Alla ricerca di Tadzio Death in Venice

 (Via)

ヴィスコンティ映画、「ベニスに死す」に登場するタッジオ役のオーディションを受けるビヨルン・アンドレセン。これはまた貴重な動画だなあ。
これを見た後思い出して、家にある『ヴィスコンティ集成』を調べたら、この時の彼について書かれたページがあった。

イメージ・ヴィスコンティ 
[ビヨルン・アンドレセン]
 71年8月、『ベニスに死す』の宣伝キャンペーンに来日したビヨルン・アンドレセンは、ちょっと意地悪な女性記者から、こう質問された。
「あなたは、自分を美少年だと思いますか?」
 当時16歳の少年は、赤くなってうつむいただけだったが、そこには、もはやタッジオの息を呑むあでやかさは残っていなかったように思う。彼は北欧育ちの、現代の空気をのびのびと吸い込んで育った高校生でしかなく、そのことによって逆に会見の場にいた人びとはルキノ・ヴィスコンティの魔術の妙を知らされることになったのである。
 14歳のポーランド少年、タッジオの役を演じる俳優を求めてヨーロッパ中を探し歩いたというヴィスコンティは、数千人もの候補者の中からスウェーデン生れの15歳の少年、ビヨルン・アンドレセンを発見した。
 当時、ストックホルム音楽学校に在学し、エキストラとして映画に1度だけ出演したことがあるという彼は、5歳のとき父に捨てられ、それが原因で母親に自殺される不幸を背負っていた少年だった。だが、素顔の彼はそのことを何ひとつ感じさせず、憂い顔の美少年を期待して会見の場に臨んだ人びとは期待を裏切られた、という思いを抱くと共に、ここであらためて、虚像と実像の違いを認識させられることになったのである。
 映像の中に、あたかもギリシア彫刻とルネッサンス絵画の最も美しい部分のみを抽出して結合させたような美しさを放った少年が現実にたち戻ったとき、そこにあるのは、すこしばかりのういういしさと、平凡で健康な美しさでしかなかった。アンドレセン少年は、もはや老芸術家アシェンバッハを魅了する美しきタッジオではなく、熱し易くさめ易い女学生のアイドルにすぎなかったのだ。
 しかし、そのことで彼を責めるのは酷というものだろう。美というものは移ろい易いものだし、とりわけ少年の美しさの命は、はかないものなのだから。
 『ベニスに死す』に出演後の彼は、何本かの映画に出演したり、音楽グループ活動をしていたらしいが、いつの間にか噂を聞かなくなってしまったのは、いかにもタッジオ役を演じた少年にふさわしい。<渡辺祥子>

(フィルムアート社 ブックシネマテーク─4 『ヴィスコンティ集成』 pp. 202-203 ベニスに死す から)

ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 (ブック・シネマテーク 4)

ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 (ブック・シネマテーク 4)



因みに、私がこの本を買ったのは92年。当時住んでいた家の近所の映画館でルキノ・ヴィスコンティ特集を開催していて、友人の影響から週替りで監督作品を観たのがきっかけだった。*1 それから、大昔に読んだ雑誌「an・an」の映画特集号で、故淀川長治氏が一番好きな映画監督としてヴィスコンティの名前を挙げていたのも覚えている。氏の『ベニスに死す』の批評も掲載されていたので紹介する。

【批評】  タッジオがひとりで「エリーゼのために」をピアノでざれ弾きするシーンがある。アッシェンバッハがそれを見つめている。その曲のひとところを少年は一本指でピアノのキイを叩いて何度もくり返す。とその曲が回想のシーンで、アッシェンバッハがさも恥づかしげに遊女屋に女を買いにゆき、その相手の遊女がピアノでこの同じ曲を弾いていた、この回想。これもまた重要である。映画で見るかぎりアッシェンバッハはここでタッジオ少年を精神の中で肉体的に犯しているのである。しかもこの回想ではアッシェンバッハは女を買いながらその汚なさに我ながら恥じて金のみ与えて去っている。その彼がタッジオには肉体的にまで溺れきっているのである。(淀川長治キネマ旬報・71年10月号上旬号

(フィルムアート社 ブックシネマテーク─4 『ヴィスコンティ集成』 p. 199 ベニスに死す から)

この場面もYouTubeにあった。


*1:このことは以前にも拙ブログに書いている。http://d.hatena.ne.jp/fumi_o/20060627/1151408403