屁爆弾(hebakudan)語録 (2008年12月〜2009年12月)
急逝したid:hebakudanさんを偲んで、自分のTumblrに残しておいた言葉から一部をポストする。記事タイトルがある場合、リンク先から「血止め式」に掲載された年月日は分かるが、現在では削除されてしまって読めない。
心底「われ一人だけ」の立場に陥ったことがある人は何としてでも自分の言葉の力で他人と渡り合うしかなくなる時の苦しみを知っている。「本当は相手側に不足があるのではなく、相手の持つものを充分感じ取れるアンテナが自分の側に不足しているのではないか」という自己懐疑は、己の言葉の貧しさを自身の内側で切実に感じ得ることによってしか生まれないからだ。
― 血止め式
■太宰治『きりぎりす』 (新潮文庫1974)
「お別れ致します。あなたは嘘ばかりついていました。」という書き出しで始まる、妻から夫への絶縁状小説。語り手の妻は比較的裕福な家で生まれ育った娘だが、好条件の縁談をいくつも蹴って貧しい絵描きとの結婚を決める。ところがその後だんだん絵が売れるようになった夫は適度な世間的愛想を身につけ始め、画商とのつきあいも巧みになって行く。24歳の妻は、画商と談笑している夫のお追従笑いを聞いて夫に大きく幻滅してしまい、「自分でなければ妻になれない人と一緒にいたかったから」という理由でついに別れようとするわけだが、おおざっぱに言ってよければ、「貧しいままのあなたが好きだった」なんてのはしょせん生き延びるために自らが汗水流さない女のたわごとではないのか。
─朝の食卓で夫の味噌汁の椀にこっそり自分の唾を入れて差し出していた妻 - 血止め式
「こんな奴なら安心してケナせる」と思うような相手などめったにいるものではないが、「この人なら安心してホメることができる」と思うような人なら少数いる。こちらから急に二、三歩近づいてもたじろがず、こちらの愛想をさりげなく三割引いてそっと受け止めてくれるような、そんな人が稀にいるのだ。いかにもうぬぼれの強そうな人にわざわざお世辞なんぞ言いたくはならないものだが自分をよく知っている人は無理をしない。つまり少しくらいウマイことを言われても簡単には木に登らないのである。大人の安定感は心地いいと思った。
─木に登らない人々 - 血止め式
しっぽを振ってはならぬのだ
おめめを高く上げるのだ
雄々しく猫は生きるのだ
きりりと猫は生きるのだ
どうやらこうやら生きるのだ
出たとこ勝負で生きるのだ
めったやたらに生きるのだ
のだのだのだともそうなのだ
それは断然そうなのだ
ひとりで猫は生きるのだ
なんとかかんとか生きるのだ
しょうこりもなく生きるのだ
ちゃっかりぬけぬけ生きるのだ
やぶれかぶれで生きるのだ
いけしゃあしゃあと生きるのだ
のだのだのだともそうなのだ
それは断然そうなのだ
■井上ひさし作 『なのだソング』(抜粋)
『ポケット詩集』(童話屋1998)より
― 忍法ねこあんまの術 - 血止め式
あのふきんを最後に見たのはいつどこでだったろう。生まれて初めて虹を見た日や、生まれて初めて雪を踏んだ日の記憶が自分にないのをさびしく思う。
― 「ふきん」と名前の入ったふきんが欲しい - 血止め式
自分の経験や自分の得意な領域一つで何でも押し切って済ませようとする女ほど二言目には「日本は男社会だ」などとたわけたことをのたまうが、たかだか日記文程度のことにさえ向上意欲はアリの頭ほども持たず、何年書き続けても顔文字と流行語の羅列だけでまにあわせて何か良いことでも言った気になるションベン臭い女どもが簡単に他人のリードを取れるような社会こそたまったものではなかろうものを一体何を抜かしてけつかるやらと言いたい。その手の女連中のビラビラにたるみきった女陰の垢みたいなもの言いが私はでええっきれえなのだ。
― 小股の切れ上がった女 - 血止め式
【わわしい】
:物さわがしく落ち着きがない。かるがるしい。やかましい。うるさい。
【わわめく】:さわがしい音がする。
【わわしい女は夫を食う】:とかく騒がしく口ぎたない女は夫の心ふさぎのもとになる。
― 血止め式
「井戸の回りで」
→ 一夜が明けて歴戦の跡を振り返った男女の感慨。
「お茶わん」
→女性性器。
「欠いたのだあれ」
→ 「ゆうべあそこの私の一番大事なものを壊してしまったのはだあれ。」
― 血止め式
中原中也は書くものより名前のほうがずっと詩的だ
そっと尻をさするように人生に触れる
せいぜいぬるま湯の中で歌いたまえ
― 「中原中也は書くものより名前のほうがずっと詩的だ」 - 血止め式
ハンセン病に苦しんだ北條民雄が、「死ねる病気を一つぐらい持っていないと不安だ」と言ってのけたあの言葉は、かつては決して解消されない闇を抱える人々の心奥に沁みわたった。わが身の明日がわが身にさえ了解しきれないということへの畏怖が前提にあってこその文学の力だった。情報とコミュニケーションさえ失わなければあらゆる問題は解決されるかのように思い込まされるこの時代、もはやたいていの人に病の文学、老いの文学などは無用なのだろうかと感じないわけにはいかない。
― 文学という痛覚(1)つねに判断とはあるがままのものとあるべきものの比較 - 血止め式
「伊丹十三は若い頃、女性を抱きしめる時は尾てい骨から数えて上に三番目の関節を押さえれば、それが最も理想的な抱きしめ方だと教えてくれたんですよ。」
■大江健三郎の弁
河盛好蔵のエッセイ集『老いての物語』(学芸書林1991)によれば、食事に2時間をかけるフランス人にしては珍しくナポレオンは非常に食べ方が早かったそうで、従僕コンスタンの回想録には「食卓に12分以上とどまっていなかった」との記述があるという。一方、並みのフランス人よりはるかに食事時間が長かったのはカントで、「彼は昼食に午後1時から4時までを費やすのが通例だったらしい」と渡辺昇一の『知的生活の方法』(講談社現代新書1976)にある。
― ナポレオンの早めしカントの遅めし - 血止め式
母だの妻だのという「家庭帰巣」的な役割面ひとつでしか人と話せない女はつまらない。
― 血止め式
この世の危険な現象のひとつは、隣人に孤独の権利を許さない狭量な信者なのだ。
― ドとレとミとファとソとラとシの音がぁぁ出なぁい - 血止め式
チャーシューと女の唇は厚いほうがいい
─ 血止め式